ChatGPTと多様性のパラドックスについて対談してみた
最近ふと思ったことがあるの。「多様性を認めないのも、多様性なんじゃない?」って。
これ、ちょっとややこしい話なんだけど、ChatGPTと話していくうちにすごく考えが整理されたので、ここに書き残しておこうと思う。
最初に私がぼんやり感じたのは、「多様性って、いろんな価値観を認め合うことでしょ?じゃあ“多様性を否定する価値観”が、多くの人に支持されたら、それも多様性のひとつになるの?」っていう問いだった。
ChatGPTはこう言ったの。「それって一見筋が通ってるように見えるけど、“多様性を否定する価値観”が広まると、結局“違う人を排除する社会”になってしまう。それは多様性の土台を壊すことになるんだよ」って。
なるほど、たしかに。つまり、“違いを認めよう”っていうルールを否定し始めたら、そのルールの上にあるいろんな価値観まで崩れていくってこと。
でも、そこで私がまた疑問を投げかけたの。「でもさ、“それに疑問を持つことすら許されない”って雰囲気も、不寛容じゃない?」って。
するとChatGPTは、「それも鋭い視点。実はそこには“矛盾”がある。でも、それこそが“多様性”という概念の限界なんだ」と返してきた。
そして、「多様性を尊重する社会」っていうのは、価値観の問題じゃなくて“共に生きるためのルール”だと教えてくれた。
つまり、「疑問を持つ自由」や「違和感を感じる自由」はあっていい。でもそれを“人を傷つける形”で表現したり、“排除の言葉”にしてしまったらダメっていう、境界線があるんだって。
結局のところ、私たちはこの矛盾やゆらぎを抱えながら、「どこまでが許されるのか」「どうやって共に生きていくか」っていうことを、日々考えていくしかないんだろうなぁと思った。完璧な答えなんてないけど、こうやって自分の中で立ち止まって問い直すことが、たぶん“多様性”を生きるってことなんだと思う。
ChatGPTとの対話で、そんな風に感じられた一日だった。